ときどきの老い
1: 2010年2月号
「老いのあれこれ」を連載しようと決めたのは、どうしてかと言えば。
何かを確認したいから。何かといえば、日々の「老いてゆくこと」を言葉に表現して、《実感した老い》をすこし距離をおいて冷静に見つめ、ホホーッと感心したり、気の毒がったり、笑っちゃったり、茶化したり、時には深刻に同感したりしながら、老い全体を「ユーモア化」すること。そんなことが、当の老人にできるかどうかを確認したい。
「老い」は充分に愉しめる素材である、と宣言したのが、もう十数年前の赤瀬川原平の「老人力のあけぼの」でしたね。私が50歳の頃で、そろそろ歯槽膿漏が表面化し、そうか、世に言うところの「老いは、目・歯・下半身から」の「歯」に、私もなったのだな~、と慨嘆していたころでした。
最近では「人間力」とかいいますが、こうした「○○力」といった表現の元になったのが、赤瀬川原平の元祖「老人力」です。
この「老人力」の卓抜な発見は、「なにかと力が弱る・減る」のが老化である、という常識を「なにかと老人力が付く・増えることが老化」であると言い換えたことです。
さしずめ、当時の私でいえば、細菌に抵抗する免疫力が落ち、歯茎に細菌が増殖し、やがて歯がぐらつき、抜けてゆく、という老化現象を、「堅いモノを選別して避ける能力が身についた」「口の中でモグモグと何度も反芻する力がついた」と言いくるめ、これらのことは、これも老人力がつき始めて、若いときと同じでなくなった「胃腸」にとって、たいへん合目的な立派な力である、と強弁することです。
もう一つ、歯槽膿漏を経て、歯茎がガタンと落ち、「歯の背丈」が急に伸びるなど、口の中の様子が目に見えて老いてゆくのを経験する私たちにとって、忘れてならない一大事は「口臭」です。そもそもマナー違反とされる口臭は、昨今の「清潔指向」の世の中では最低の評価を受け、これだけで全ての身だしなみがゼロになってしまうほどの嫌われモノです。
こうして、弱る~老化~汚い~臭い~だらしない~不潔!!と本来なんでもない、生物的には当たり前の「老化現象」に、さまざまなマイナス言葉が付着してしまいます。
この付着したマイナス言葉、老化にまつわるマイナス評価を、逆転する秘策こそが「老いた」というマイナス言葉に、若々しいプラスの「力」を合体させた新しい言葉「老人力」でした。
日々、着実に増えてゆく、身についてゆく老人力を糧に、何かできそうな気になる、なんと力強い「言葉の力」でしょうか。