ときどきの老い
5: 2010年6月号
なんでも笑い飛ばせる強さ。
先日、30年来の友人K氏と久しぶりに一杯やった。談たまたま彼の息子さんの話題に及んだとき、K氏曰く「あいつ(=彼の息子さん)は、ほんとに真面目なヤツなんだ。あいつが中学生のころだったか、“おまえってホントに真面目だな~”って言ってやったら“お父さん見てたらそうなるしかないべ”って言われちゃったことがあったよ・・・アハハハ・・・・」だって。
なんだか、とてもいいハナシだったので印象に残りました。
K氏は結婚がわりあい早かったから、この会話は彼がまだ30代、息子さんが中学生の頃のことでしょう。新聞記者だったK氏は、オフィス通いのサラリーマンとは違って自由業に近い生活だったから、「酒とバラの日々」も家族に顰蹙をかうくらいにはあったのでしょう。
ようやく大人の世界がわかりかけてきた息子に「おまえもっと真面目に勉強しろ」、これが世間の普通の親というもの。「おまえってホントに真面目すぎるよな~」と、軟らかくなるのを勧めるかのような親はあまり居ない。まだ中学の息子にむかって「おまえは堅物すぎる」と。
「お父さんを見てたら真面目になるしかないでしょ」っと、見事に父親から一本取った聡明闊達な息子さんも、現在30代で子供二人、やはり新聞記者で、酒はともかく、バラとは無縁の真面目青年らしい。
こういう対話には、何を言っても誤解は生じない、という親子間の信頼と共通の土俵がある。父親は息子の前で、自分の弱点やだらしない処を隠そうとしていない。中学生の子供を一人前の男として認めている。すこし背伸びさせている、教育的指導の感もある。
充分に愛情を注いで育てたから、こういう冗談まじりの“暴言”も通用する。それに、団塊の世代には数少ない「父親の権威」を感じさせるK氏の個性が加わる。
このハナシをとてもいいと思ってこの紙面に書いている私。
息子の話題になったときに、咄嗟に30年前のこの対話のハナシが口をついて出てきたK氏。父親と息子の対話が難しくなる年頃のなかで、この対話が「通じ合った対話」として、K氏の思い出になっているのだろう。
30年後にそのハナシを、酒を傾けながら機嫌よく話している60代と、機嫌よく聞いている60代。
K氏がいまだに「お盛ん」なのかどうかは訊きませんでしたが、だとしたらご同慶の至り。そりゃ、女房や他の女性を泣かしたこともあったろうが、ああいう対話を息子とできる男ならいいじゃないか。
いまは関連会社に週3日勤務という彼も、現役時代のことが、みんな肯定的に思い出されるようだ。
そうです。いやだったことも含めて、肯定的に見えてきて、肯定的に思い出される年齢。「人間って勝手なものだね、都合のいいものだ」と言われるのも承知で、できれば豪快に笑い飛ばして肯定してしまう、過ぎ越しきたる我が人生。
これって間違いなく若いときにはない「老人力」です。