ときどきの老い
7: 2010年8月号
死って怖い
八月はいつもより他界・異界と親しい時期。
若いときにあんなに恐れた「死」がそんなに怖いものではなくなる、還暦ともなれば身近に「死」をたくさん見過ぎて、なんだかもう馴れっこになってしまった。若いときより、「死」にたいして図々しくなった、太々しくなった、これはどうも確かなようです。これって「老人力」ですね。
子供のとき、死が恐くて仕方のない私が考えたことは「力道山も美空ひばりも死ぬのだ、だから自分が死ぬのは当然だし、恐くない・・・はずだ」でした。力道山や美空ひばりのような国民的英雄でさえ「不死」ではない、と自分に言い聞かせ、だから「小さな私」が死ぬのなんか、あったりまえやないか、と自分を説得していたのです。そのようにして「死の怖さ」を薄めようとしていたのですね。
どうして死がそんなに怖かったかといえば、「源義経=牛若丸が死んでから800年かな、こんな世の中になっているよ、と現在の日本を天から見ているだろうか? 歴史上の膨大な全ての死者が天で生きているとは考えられないから、きっと義経はもう何処にも居ないし、彼の死後の世の中の動きは何も知らないんだ。それって恐い。身体も脳ミソも消滅してしまうこと、これが怖い」。
何故、力道山と美空ひばりと源義経の三人なのかは、未だにわかりません!!
もうひとり、「死」といえば「この人」という登場人物は、小学校の校長先生でした。
彼は頭が禿げていて、ボクから見るとずいぶんお年寄りでした。朝礼でお話しをしている校長を見るにつけ「もうすぐ死ぬのに恐くないのかな~?」としきりに思ってしまうのです。だってボクは10歳未満、おじいちゃんが亡くなったのは80歳だったから、ボクにはまだ70年もある。けれどあの校長先生は精々あと20年だろう、こわくないのかよ~??でした。
以上三つ。これらの子供の「怖い死をどうする?」には、すべての人生の不可解さ、大人になったら解決できる納得出来る、という種類のものではない人生の不可思議さが、すでにすべて出揃っていますね。あの頃「パパは何でも知っている」というアメリカのホームドラマがテレビで流行っていましたが、「子供はなんでも知っている」は深い真実です。
大人になってからの思い出は、45歳から55歳くらいまでの、巨木愛?の時期でしょう。「名山百選」ならぬ、「巨木・巨樹百選」的な本はたくさんあって、数種類の本の写真と説明を比較して、何処の○○と云われる巨樹、と決めて旅行の折りなど、よく遠回りしては出逢いを楽しんだものです。人生の後半にさしかかって、先きが見えてきた。一生の間に、できること・できないことがだいぶん見えてきた。そんなとき、自分の寿命よりずっとスパンの長い巨樹を見上げ、近づき、触りたかった。匂いもかぎたかった、のでしょう。